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  財団法人合気会支部 鍬守道場  
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  ▼合気道公認FAQ

・合気道はスポーツとどう違うのですか。
・合気道にはなぜ試合がないのですか。
・子供や老人,女性でもできると聞きましたが。
・技の数はどれくらいあるのですか。
・技が多すぎたら覚えられないという心配はないのでしょうか。
・合気道の分派はあるのですか。
・合気道で礼儀作法が身に付くのでしょうか。
・稽古に役立つことで日常生活で気をつけるべきことは何でしょう。
 
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Q:合気道はスポーツとどう違うのですか。
A:合気道は武道です。しかも心の修養を第一要件とした武道です。

  しかし、国際合気道連盟はGAISF(国際競技団体連合)に昭和59年(1984)から正会員として加盟しています。IOC(国際オリンピック委員会)に次ぐスポーツの国際組織であるGAISFに属しているのですから、合気道を広義のスポーツとして捉えるのも不可能ではありません。

  ただし、GAISFの主催する大会である「ワールドゲーム」には勝ち負けがありません。オリンピックに代表される派手さはそこにはないのです。スポーツに対する熱中のほとんどは勝敗に対するこだわりと言って差し支えないでしょう。

 合気道は、人間の精神と身体の統一を行うものです。いたずらに他と勝敗を競うことは決してありません。つまり、本質的な部分でスポーツと違うのです。
 スポーツ界においても「メンタル・マネジメント」なることが大きく言われるようになりましたが、それは畢竟(ひっきょう)、相手に勝つための精神コントロールではないでしょうか。

  最近は文部省でも「スポーツにも精神鍛錬が必要」という認識が出てきました。精神を鍛錬することが教育効果を上げるとの見方によるものでしょう。本質的な部分が違うにもかかわらず、合気道と競技スポーツが似たように思われることが増えて参りました。

 では、どこが違うのかと申しますと、最初に申し上げましたように、心の修養を第一要件とした武道だということです。武道はそもそも生死を賭ける場面から出来上がったものです。武道の人間の捉え方の深みは、競技スポーツのそれとは立脚がまったく異なるのです。そして、そうした日本の伝統武道の鍛錬法を現代に生かしているのが合気道と言えましょう。

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Q:合気道にはなぜ試合がないのですか。

A:現代における武道の価値というものを考えましたときに、現代に生きている一般の人が行えて何かしら生活に結びつく点がなければ、その意味はないに等しいのではないのではないでしょうか。この現代にあって、誰かと武術で勝負をし、その勝敗にこだわることにどれほどの意味があるのでしょう。「合気道では試合はしない」という立場を一貫してきました。
 
  何故かというと、合気道には「相手を倒す」という思想がないからです。もし試合を行えば、必ず「勝ちたい」「相手を倒したい」という執着心が生じるでしょう。そうした思いがあっては、自然と一体にはなれません。それは天地自然の調和に反しているのです。

 自然と一体になり天地自然と調和するということが合気道の要諦です。したがって試合を行えば、それは合気道にとっての一番大事な理念自体を否定してしまうことになるのです。ですから、試合は行わないのです。

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Q:子供や老人,女性でもできると聞きましたが。
A:さきほど、現代に生きている一般の人が行えて何かしら生活に結びつく点がなければ、その意味はないに等しいのではないだろうか、と書きました。若い時にしかできないようなものであれば、一生かけて学ぶことなど出来ません。また男性にしかできないというのでは、やはり特殊なものだということになるでしょう。

  これは単なるお題目でなく、合気道の稽古は事実として老若男女を問いません。現在、国内における合気道実習者の男女比は概ね、女性:男性=1:3となっており、概観するに、なぎなたを除けば、合気道は比較的女性実習者の比率の高い武道だといえます。

 また実習者の年齢分布を見ても18歳から40歳代の年齢層の比率が高く、他の競技武道の年齢分布と比較すると年齢が高いと言えるでしょう。
それは何故かと言えば、合気道が自然な動きを基本にしているからです。その動きには無理がなく、特別、筋力を必要としません。合気道は学ぶ意志さえあれば、誰でも稽古できます。

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Q:技の数はどれくらいあるのですか。
A:現在、本部道場で基礎・基本の技としているのは大体50ぐらいですが、鍛錬するうちに体の内側から湧いて出てくる動きでも合気道の原理に適ったものであれば、合気道の技であると言えます。そういう意味では自然な変化の中で技はいくらでも出てくるので無限といっていいでしょう。
 
  技は外から真似て覚えるものではありません。個性が他人に強要できないのと同じように、自由闊達な稽古の中から合気の動きが生まれてくるのです。

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Q:技が多すぎたら覚えられないという心配はないのでしょうか。
A:新しく稽古に訪れる人の中には、頭で納得してからでないと体の錬磨に移れない人がおります。

  そして、その数は以前よりも増しているようであり、その人たちはこのような疑問を当然持つことでしょう。そうした人たちは自然の中に融合し一体となった合気道の流れがなかなか理解できません。頭で考え、しかる後に体が動くのであれば心身の一如が成り立っていないということです。「教わった技を覚えきれずに忘れてしまうのですが、どうしたらよいのでしょう」と質問する人には、「忘れることは結構なことです。頭からは忘れて体で覚えていくことが大切です」と申し上げています。

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Q:合気道の分派はあるのですか。

A:確かに巷には合気会とは別に「○○合気道」と名乗っている団体が存在します。中には、素姓の知れぬ訳の判らぬようなものもあるようです。

  しかし、開祖・植芝盛平に連ならないもの、その教えを逸脱したものは、いかに外見を似せようが、深遠そうな哲理を語ろうが、合気道ではありません。例えば、競技試合を行っているようなものは明らかに合気道本来の姿を忘れたもので、合気道と呼ぶことはできません。

 私どもで言う合気道には分派は存在しないと考えています。分派がいくつもあるという考えは、それ自体が合気道を貶(おとし)めるものでしょう。

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Q:合気道で礼儀作法が身に付くのでしょうか。

A:礼とは人間が作ったもので、人間以外の生物には礼儀などありません。人間の礼にしても文化によって随分違うのはご承知のとおり、どれが正しいということは厳密にはありません。

  それは鍛えられた心身によって自然にできるものです。本部道場では、初心者に礼を強要しません。「直せ」「こうしろ」などと言うことなしに、各自が感得するのです。

  ハワイの合気道に入門した子供たちが、最初は履物を散らかしていたのに、四,五ヵ月もすると、誰に言われるでもなく揃えて道場に上がるようになったので、親たちが非常に驚いたことがありました。これも子供たちが各自で感得したものであって、師範が強制したものではありません。そして強請された礼など、本当の礼ではありません。

  「礼に始まって礼に終わる」とはよく言われることであり、確かにその通りなのですが、このようなことを始終言っていなければならないような状況というのは、多分、礼が自然に感得されるようなものではないでしょう。合気道では、礼儀が自然と身に付くと思っていただいて結構です。

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Q:稽古に役立つことで日常生活で気をつけるべきことは何でしょう。

A:
例えば、日常生活から姿勢や動作に気をつけることは大事なことの一つです。

 しかし、それ以上重要なことは「謙虚」に振舞うことです。合気道では心の動きと体の動きを一致させることが大事です。人間関係でぶつかってばかりで争ってばかりの人間は動作においても、ぶつかってばかりで和ということを理解できません。ぶつからない動きを知るためには、謙虚であることが一番大切なのです。


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